美人に生まれて失礼しました

他称・美人のあるある日記。美人仲間に共感されたいがために開設したブログ

美人VS母方親戚

★blog開設の経緯https://bijinnisachiare.hatenablog.com/entry/2019/10/19/225318

★自己紹介https://bijinnisachiare.hatenablog.com/entry/2019/10/20/221603

 

さてさてこちらの記事は10月にポチポチ書き溜めてたものの、すっかり忘れて彼氏とうつつ抜かし出したため下書きのままになっていたもの。(説明長い)

 

まぁそんなわけでくだらないけど、以下内容は美人がゆえの、母方親戚との戦いの記録を2ヶ月の時を経てやっと日の目を見る記事です。笑

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ていうか父方親戚の記事読み返してたら、これ美人関係なくね?ってだんだん思えてきた。笑

わたしには弟しかいないし、そもそも性別も違うわけだから、ライバル意識とか嫉妬とかお互い全然ないんだけど、男兄弟のみ、とか、姉妹のみ、みたいな兄弟構成だと歳近いとそういう感情が持ちやすいのかなーって、母方親戚のことを思い浮かべるとそう感じてきた。。ま、いいか。そんなわけで美人関係あるかないか微妙だけど、思いのまま語っとこっと。

 

母とわたしは性格や趣味嗜好は激似だけど、外見は全く似ていない。母は美人タイプではないけど、「可愛らしい」という表現が合う人だし、巨乳だし(わたしは貧乳)、体格すらも違う。パーツにせよ配置にせよどこにも母要素がないので、子供の頃から母といる時に母の同僚とかとばったり外で会えば、「本当に○○さんのお子さん!?笑 綺麗な子だねぇ!全然似てないねー!」とからかわれるくらいに似てない。母はマジで失礼だな!とちょっと怒ってたけど。笑

ただ、母の父である祖父にはわりと似ていた。というか、父方親戚はみんなぽっちゃりタイプだし、祖母も母も母の兄弟もというか親戚全体的にわりとぽっちゃりだった。でも、唯一祖父だけは昔から細くて体質的にも食べても太らないタイプで、背が高くて色白で、完全に母方祖父ルーツだった。

そんなこともあり、母方祖父からはかなり気に入られていた。男性なので父方祖母のようにわかりやすく愛情爆発タイプではなく、寡黙なものの運動会や生活発表会には来てくれるし、7人いる孫の中で1番お金をかけていたのは確実にわたしだった。というか、他のいとこ達にも自分と同じように接しているのだと思い込んでたから、あとになって実は違った、というのがまたしても親戚の修羅場だった。

母は三姉妹の3女で、三姉妹全員同じ都道府県内に嫁いでいる。といっても、長女家族は同じ市内だけど学区は違うしいとこ姉妹とは歳が離れてる、次女家族はこっちが海側に住んでるとしたら、向こうは山側、と言った感じで、母の姉妹はわりと仲が良かった、、、と最初は思っていた。三姉妹家族で旅行に行くこともあったし、いとことも仲がいい。いとこの中ではわたしと弟が年下で、あとはお姉ちゃん・お兄ちゃんだったので楽しかったし、父方親戚のようなことはないと思っていた。小学生の頃までは。いとこのお姉ちゃんとお兄ちゃんはほとんどが5つ以上離れていたので、私も弟もすごく可愛がってくれていた。1人だけ歳が近いいとこがいて、母の年子の姉(次女)の子供が、1歳上の女の子(以降Sちゃん)だった。初めはすごく仲が良かったし、遊ぶのも楽しかった。Sちゃんは1歳上なだけあって、兄が2人いる女の子だから流行とかにも敏感で、恋愛のこととかお洒落のこととか色々わたしに教えてきてくれていた。そのあたりのジャンルはわたしも子供で疎い方だったので、素直にそうなんだぁー!Sちゃんってすごいねー!って思っていたけど、今考えるとあれマウンティングとられてたんだなーって思う。笑

ただ、うまくいっていると思っていたいとことの付き合いも、歳を重ねるごとに少しずつやっぱり違和感は増えていった。私は2人姉弟の第1子で、Sちゃんは兄兄妹の末っ子。わたしが第1子特権の新しい物を買ってもらえる環境にいるのに対し、Sちゃんは兄のお下がりだったり、兄弟が多い分何かと諦めさせられたりしていたようだった。

なので、わたしが小学校に上がる時は大変だった。Sちゃんがわたしのマンションに遊びに来た時、子供部屋に入って早々、買ってもらった新品の学習机を見て号泣された。Sちゃんの家は5人家族のわりに狭く、兄2人分の学習机でスペースがとられるため、Sちゃん分は買ってもらえてなかったらしい。それ以上に怒らせてしまったのが、学習机を祖父に買ってもらった話をしてしまったことだ。というか、それも全孫に買ってあげてたのかと思いきや、私と弟のみの特典だった。(弟いわく、エリカのついでだろ、と言ってたけど多分その通り) 実は後から母に聞くと、初孫フィーバーで沸いている父方親戚のように、可愛い服とかセンスを求められるものはよく分からないし買ってあげられないから、せめて学習机だけはこちらで買わせてほしい、という祖父からの交渉が父方母方間であったそうな。そこまでするもん??まぁそんな事情はさておき、そりゃどうしてエリカには買い与えて自分には何も無いのだ、と小2の女の子が拗ねるのも分かる。ちなみに行事の参加についても、他のいとこには全く祖父母は出ていないことをあとになって知り、孫に興味ないタイプなんじゃなかったの?と、さすがに無害な長女家族や次女家族もいい気持ちにはなっていないようだったが、さすがにそれ以上に、次女である伯母さんもその事実には腹を立てたようだった。

ただ、その一件以降、私が持ってて彼女にないものを見つけられるたびに、即買い与えられるようになったらしい。まぁそれはわたしにとっては彼女が後追いで買おうが買わまいがわりとどうでもよかった。ていうかわたし第1子なんだし、いとこからお下がりもらうにしても歳離れすぎてるからファッションの時代も違うし、新品買ってくれるよそりゃ。。小学校まではまだ本当に可愛いもんだった。けど小学生なんて、歳の近い兄弟、親戚、友達などと比べて拗ねたり泣いたりするなんてそこそこ普通のことだと思うけど、ここから先がわりと問題だった。

母の姉(次女)と母も、Sちゃんとわたしも、それぞれ1歳違いだった。歳が近すぎるからか、ライバル意識を持つ気持ちは分かる気はする。知らんけど。歳上なら歳下よりも1歩リードしないと気が済まない!っていう人種は、恋愛などがもつれるとわりといることを大人になると知っていくが、子供だった自分にとっては衝撃的なくらい日々進化し続けていた。

そもそも、わたしが自分が美人なのを自覚するのが遅かったのはこのSちゃんの影響だった。小学生の頃の自分はスーパー鈍感だったし恋愛とかお洒落とか全然興味がなかった。それはそれでまだ幸せだったと思う。

ある時から、Sちゃんはわたしに頻繁にこういうようになった。

S「エリカちゃんはね、周りに可愛いって言われても信じちゃだめだよ。じいちゃんは、一番下の女の子だからエリカちゃんのこと可愛いって言うだけだよ。エリカちゃんはすっごく普通の顔なんだからね。」

わたし「???そうなんだぁー?わかったぁー!」

どんだけ純粋なんだよ。笑

 

また、ある時はこんなことを言った。

S「エリカちゃんさ、告られたことある?」

わたし「告るって?りぼんみたいなやつ?」(←当時少女漫画のりぼんに激ハマりしてた)

S「そう!でもあれは漫画だけの世界だから。男子が好きとか言ってきても、からかってるだけだから信じちゃだめだよ。すぐ断るんだよ?あと誰かに話しちゃだめだよ?Sに言うのはいいけどね!」

わたし「ふーん?そうなの?わかったー!」

という感じだった。

まぁSちゃんの期待に添えず、残念ながら小学生の時に告られる機会とかほぼなく(前にブログで書いたストーカーに好かれてたのと、友達の兄ちゃんと弟の友達に好かれてたのは友達からの又聞きで、ふーん気のせいじゃね?って感じだった)、そんな感じで自分は可愛いとか綺麗とかの類いではなく、ごくごく普通の人間だと思い込んでいた。まぁそれはあとで自覚するようになっても、Sちゃんにそう教えて続けられたことは別に腹も立たなかったしどうでもよかった。

そんなことよりも、1番困ったのは、わかりやすくライバル視されてことだった。

Sちゃん家族とは、学区は全然遠いものの、同じ都道府県住みなので、その範囲であれば、ある程度どの高校がどれほどの学力かは分かる。Sちゃんは地元の商業科のある高校に進学したのだが、問題はその一年後、わたしの高校受験のときだ。わたしは一応MARCHレベルと呼ばれる大学を出てるので、めっちゃ頭がいいというわけではないけどまぁそこそこ…なくらいの公立の進学校を受験すると決めていた。受験の時はそりゃもうすごかった。鬼のようにSちゃんからメール、伯母から電話がかかってきて、

エリカちゃんはどこの高校受験するの?」の嵐。えっ???受かってもないのに受験予定の高校話すの??ていうかそれで落ちたら嫌だし受かるまで言いたくないんだけど、、、というのが、我が家のスタンスだった。なので連絡が来るたび最初のうちは「まだ迷ってる」と返してごまかしていたが、さすがに受験3ヶ月前とかになると、その言い訳には無理がある。「せめてどことどこの高校で迷ってるかくらい教えなよ!」とまで言ってくるけど(なぜ?)、それすらも嫌だった。ていうか、、、中学生になったからもういい加減分かってきたけど、その高校で張り合ってくるじゃん。。とにかく受かるまでは絶対にどんなに連絡が来ても受験予定の高校なんて口を割らなかったが(祖父母にすら内緒にしてた)、そんなこんなで高校受験は第1志望校合格という形で終わった。公立高の合格発表の日は同じ都道府県でバレてるので(一応公立高で考えてるくらいは話してた)、発表当日におばから電話が来た時にはさすがに引いた。どんだけわたしの行く高校知りたいんだよ。そこで、やっとこれまで口を割らなかった高校を伝えたわけだが、伯母の反応はこうだった。

「ふ~ん、、、普通科なんか言ってどうすんの?女なのに?」

おめでとうも言わねぇwww というか時はすでに平成15年、女に学力は不要みたいな時代でもねぇのにwww

ちなみにSちゃんからもメールが来たが、似たような感じだった。さすがにこの一連の出来事は母もブチ切れていた(本当にノイローゼ寸前くらい電話がよくかかってきたので)。母いわく、Sちゃんの兄たちは2人とも工業高校だったのに、じゃあ逆に、男なのになんで普通科行かないの?ってなるわ!!と言っていた。まぁ別に普通科に行こうが商業科に行こうが工業高校に行こうが、本人や家族が希望しているならそこでいいじゃん?という話だとは思うけれども。さすがにそこまでしつこく聞き出しといて、聞けたら聞けたで批判してくるのはさすがにウザい。ちなみに、高校卒業後の進路も同様だった。Sちゃんは専門学校に進んでいて、「大学行くのか?短大なのか?専門なのか?」という電話がこれまた鬼のように伯母から母親宛にかかってきていたらしい。(Sちゃんからのメールは、受験勉強な専念するために無視してたら途中でこなくなった)これまた合格するまで学校名はおろか大学短大専門かどうかも言わなかったのだが、合格発表後に第1志望の大学が受かった時も、やはりお祝いの言葉など一切なく「大学なんて行ってどうすんの?」だった。頭おかしい。

高校在学中、実は夏休みの間だけ超短期留学していたのだが、これも「海外なんか行ってどうすんの?」だったし、逆に「エリカちゃんは資格持ってる?」「あー、英検準2級とかなら、、、(当時はまだTOEIC受けてなかった)」「英検なんて将来そんなの役にたつ?Sは簿記とか資格いっぱい持ってるんだからね!」とか返ってくるので相当面倒くさかった。どこまで負けたくないんだ。。(いや別に進学校に行くことも大学に行くことも短期留学することもそんな特別なことでも偉いことでもないと思うんだけど) とまぁ、そんなわけで、伯母VS母の年子対決、SちゃんVSわたしのいとこ年子対決はしょっちゅう繰り広げられていた。

その他もっともっといろんな謎の対決はあるのだが、あまりにも長いのでさすがにこのへんまでで。

ちなみに言うと、母方祖父母はわたしの短期留学費用も捻出してくれた。これは当初全いとこには内緒にする予定だったが、結局祖父がポロッと言ってしまったばかりに短期留学に行くことも費用を出してもらったことも発覚し、なかなか大変だった。父方祖母もなかなかのトラブルメーカーだったが、母方祖父も負けてはいない。おいこら。

 

その後、成人してからはわりと平和でした。しいていうなら、結局いとこの中で大学出たのはわたしだけだったので、大学卒業するまで祖父母と年の離れたいとこ達(つまりSちゃん以外)からお年玉貰い続けてたことに文句言われたくらいかな。。笑(もちろん社会人になってから祖父母孝行したし、いとこ達の子供にお年玉あげてるぞ!) さすがに車買う時、半分以上だしてもらったことはいとこ達には言わないよう口止めしたけど。。笑

ちなみに、結婚できないことに対してSちゃんとSちゃん母はなんか言ってくんのかなーと思ってたら、Sちゃんは27ですげぇDQNな人(荒れた成人式にいそうなタイプの人)とデキ婚したのと、Sちゃんの兄ちゃんが今も40歳独身なもんで、わたしに嫌味を言ったところでブーメランで返ってくるからなのか、結婚できないなんて1番マウント取れる格好のネタなのに、本当に未だに何もいわれないです。笑  まぁいいけど。

 

また、祖父母は2人とも数年前に、あんまりガッツリ介護を必要とすることもなく、平均寿命を超えて老衰で亡くなりました。が、いとことは逆に、「エリカの花嫁姿見たいなぁ、絶対綺麗だよ!」ってよく言われたので、かなり尽くしてもらったのにその要望にだけは応えられず申し訳ないな~と思ってます。

じいちゃんばあちゃん、結婚決まったらすぐお墓にちゃんと報告しに行くよ、、、ごめんよ。。。