美人に生まれて失礼しました

他称・美人のあるある日記。美人仲間に共感されたいがために開設したブログ

美人VS父方親戚

★blog開設の経緯https://bijinnisachiare.hatenablog.com/entry/2019/10/19/225318

★自己紹介https://bijinnisachiare.hatenablog.com/entry/2019/10/20/221603

 

今のところ毎日ブログ更新してるけど、さすがに寝不足が続いてきた、、、

というか、なげぇ。

今日帰りの電車で今までの記事全部読み直してたら、あまりの長さに読み切る前に家に着いた。。スクロールしてもしてもまだ書いてるよこの人、、、って呆れてたら、書いたの自分じゃんバーカ。どんだけ吐き出したいんだよっていう。

まぁそれくらい、睡眠を犠牲にしてまで日々溜まりまくる鬱憤をここで晴らしているわけなのです。

 

今日は親戚の話を。これも長くなりそうな予感なので、父方バージョン、母方バージョンに分けようっと。。それでも長くなりそうだけどな!!!!!!

 

わたしの顔は両親どちらともに似ていない。

しいていうなら顔立ちは父親似、性格は母親似なのに対して、弟の遺伝子は90%は父親から受け継いでるといっても過言でないくらい似ている。

わたしの場合、父方の祖母と、母方の祖父の要素をそれぞれ受け継いだみたいな顔立ちになるんだけど、それもあってかその2人からはご寵愛をかなり受けていた。

特に、父方親戚は本当にすごかった。。

父親の実家は、わたしやわたしの家族が住む場所の隣県で、泊まる必要はないけど頻繁に行き来するには微妙に遠い距離にある田舎だった。これがまた田舎特有の文化が非常に根付いているところで、基本的に長男は町から出さない(つまり完全同居か敷地内同居、譲歩して超近距離別居)ような、平成すら終わって令和の時代に未だにそれ引きずってんの、、、?っていう状態なので、父方祖父母の家の周りには父方親戚で囲まれていた。しかも祖父と祖母は幼馴染婚なので(戦後当時には珍しい恋愛結婚)、余計親戚だらけという。なので、田舎で広大な土地があるというのに、家と家との距離が激近のギュッと密集した集落だった。そこに嫁ぐ人からしたら恐怖でしかないだろうな。。ちなみに父は次男だったので、高校卒業後はとっとと田舎から脱出し、母と出会って別の土地でそのまま結婚し、わたしが生まれたというわけなので、父もそれほど実家のある田舎に愛着があるわけでもなかった。

祖母は男兄弟を産んだこともあって、ずっと女の子がほしかったらしく、初孫として生まれ、それも待望の女の子、しかも自分に似ていて可愛いわたしをすごく溺愛した。まさに今で言う初孫フィーバー。ただ子供の頃はそこまで溺愛される理由なんて知らなかったし、おばあちゃんとはそういう生き物なんだ、と受け止めていた。

祖母からはどんな風に溺愛されていたかというと、1~2ヶ月に1度遊びに行くと(というか呼ばれる)、とにかく近所に住む親戚に見せびらかしに行くというところから毎回始まる。そして、わたしが遊びに来てなくてもわたしの情報は祖母の自慢による筒抜け状態で、集落の人たちはみんなわたしを知っていた。気づけばよく知らん親戚の人からもお小遣いやプレゼントを与えられ、祖母もなんでも買い与えてくれるし、わたしを甘やかしてばっかりだった。(ちなみに弟のことはスルーだった)

ここで、わたしのことを唯一よく思っていない人物が1人いた。それは、父の兄だった。

祖父母は目がぱっちりしていて、父もその遺伝を受け継いでいたのに対し、伯父はどこの誰の子だよってくらい全く似ておらず、目は小さく細く、チビでデブでハゲていて、はっきり言ってブサイクだった。(父は背とスタイルは平均並み、髪の毛は50代でも白髪少なくフサフサ)

遺伝って不思議。

それもあってか、伯父の父への風当たりは子供が見ても気づくくらい悪かった。兄より先に結婚する弟で、自分は長男で田舎から出られないのにとっとと外に出ていて、初孫の座まで奪われた。それも祖母待望の女の子で、その祖母にも似ていて目がぱっちりした子(自分でいうのここにきて恥ずかしくなってきた・・・)。面白いわけがない。

ちなみに伯父もわたしが生まれて数年後に結婚し、祖父母の超近距離に住んでいたが、子供(わたしにとってはいとこ)は伯父似だった。常に近くにいる孫(伯父の子供)と比にならないくらい、初孫である私への扱いが違うのも気に食わなかったらしい。

今考えると本当に大人気ないクソジジイだと思うのだけど、攻撃の対象が弟からまさかの幼い姪に移ったわけだ。

この伯父が本当に意地の悪い男だった。

親戚の人からわたしがチヤホヤされていると、

「エリカは将来ホステスになるな。頭の悪い女がなる仕事だよ。似合うな。」。

わたしの身長が伸びると、

「エリカはどこまで背が伸びるんだ?将来180とか超えて巨女になるな。男から絶対相手にされないぞ」。

という具合だった。それ、小学生の子供に言うか普通。

その度に親戚中の空気が凍って、よくわからんおばさん(多分祖母の妹とか)が激怒し、伯父の奥さん(常識的な人)が謝ってきてその後毎回別の部屋で大喧嘩していた。

恐らくわたしが物心つく前や、まだ言葉の意味がわからない頃にも言いまくっていたんだと思う。

だいたい祖父母がいないタイミングを狙って言うもんだから、ある程度他の親戚が祖父母に告げ口をしていただろうけど、わたしや両親がどれだけ嫌な思いをしているかは分かっていないようだった。

 

それもあって、中学以降は一気に父方親戚とは疎遠になった。

自分も中学にあがると部活で忙しくてそんな頻繁に隣県まで行けないし、なにより思春期なので、クソ以前に親戚よりも友達と過ごすほうが楽しかった。あと、ここまでで祖父の話題はほぼ出さなかったが、祖父は伯父ほどではないものの性格は似ていて意地が悪く(さすがに私には何もせず、可愛がってくれてはいたけれど)、男尊女卑は当たり前のクソジジイだったので、私と性格が似ている母(気が強い)とはとにかくそりが合わなかった。

母はわたしが中学にあがると、これまでは、まだ何もわからない子供に愚痴るのはどうなんだろう・・・と躊躇していたことも、わたしがある程度理解できる年齢になったこともあって、母がどれだけ父方親戚との付き合いが嫌で嫌で仕方なかったかをぶちまけてきた。祖父母の家にいる間は、小さかったわたしを母から奪って勝手に親戚中散々連れ回すし、虫歯にならないよう気をつけて与えていたお菓子も甘やかして勝手に許可なくあげまくる、祖父母の家近くで住みたいよね?と何度もわたしに暗示かけようとする(それは覚えてなかった)、と今でいう鬼女速とかでよく見かけるテンプレどおりのクソトメ状態だったそうな。そして、なによりチビデブハゲブサイクなくせに、幼いわたしに嫉妬して攻撃してくる伯父の存在が1番嫌だったらしい。しかもそれを祖父母に訴えかけても、長男教だからロクに注意もしないという、そりゃ母からしたら苦行でしかない環境だった。いくら別居OKな次男に嫁いでも、確かにそんな親戚がくっついてくる男、私も選びたくねぇ・・・。

中学の時、結構本気で離婚問題まで発展するくらい両親の仲が最悪だったのも、あとで聞くと父方親戚が原因だった。父からすれば、愛着はそうないものの、距離なし親戚関係が当たり前の環境で生まれ育ったわけなので、我慢して付き合い続けてほしいスタンスだったが(今でいうエネ夫)、そもそも親戚訪問の主役であるわたし自身が全く父方親戚のもとに行きたがらないのと、中学生になってさらにチヤホヤされだした私に対し、伯父は絶対黙っちゃいないしむしろ攻撃がエスカレートすると判断して、最終的には家族を選んで終息したのだった。

それでも父だけはたまに顔を出していたようだったが、母私弟(男なので、祖父母にとっては完全空気だった)は一切寄り付かず、最初は寂しがった祖母からよく電話がかかってきたが、さすがに父も祖母に話したようで、いつの間にか連絡は途絶えた。

 

その後、祖母が70を超えてからは入退院を繰り返すようになり、さすがに病院に顔を出すくらいの付き合いは復活したものの、決して田舎の集落には寄り付かなかったので、伯父家族や距離の近い親戚に会うこともなかった。それでも祖母はわたしのお見舞いをすごく喜んでいたし、わたしにとってはそれほど悪い思い出はなかったので、疎遠にしていたのが少し心苦しかった。

 

そして、その祖母が数年前亡くなった。やはり疎遠になっていたものの、いざ亡くなると悲しいし寂しかった。ただ、通夜葬儀となると、もちろんこれまで避け続けていた中学以来付き合いのない親戚と久々に顔を合わせることにもなる。

 

久々に会う親戚たちはやはり相変わらず距離なしだった。わたしは全然覚えてなかったが、祖母のいとこの孫という、わたしにとってはハトコよりももうひとつ遠い血族(なんていうの??)まで参列していたのだから、やっぱり田舎はすごい距離が近いんだな~と改めて思った。

そして、エリカ~!昔のまま綺麗だね~!と、久々の再会と社交辞令もあって、チヤホヤしてくれた。

ただ、この距離なしエピソードで怖いと思ったのが、疎遠になってからは元々寡黙な父から、祖父母や親戚のことを聞く機会はほぼなかったのだが、どうやらわたしの進路(高校・大学・就職先)を祖父母から聞かれていたらしく、まぁ別に隠すことではないし・・・と話していたらしい。

が、葬儀の待ち時間の間、親戚と話していたら、みんなわたしの10数年を知っていた。まぁ職場がわかりやすく知名度のある企業だったということもあったんだろうけど、よく知らんおっさん達(祖母の甥あたり?)からも○○景気どう~?と聞いてくるもんだから、田舎って怖いな・・・と思った。なので、わたしは田舎というものがめちゃくちゃ嫌い。

 

ちなみにクソジジイこと伯父はというと、ホステスにもならず田舎のジジババでもわかる会社勤務で、巨人にもならずに164という平均より高め程度で身長が止まったわたしに対し、久々に会っても特に何も言ってこなかった。というか何も言えなかったんだろう。昔は言い返せないと子供だったけど、今では言った日にゃブーメランで言い負かしてきそうな気の強い女に立派に成長してるわけだしね。。

 

ただ、1番不憫だと思ったのは、最後に会ったのが小学生だったいとこ達だった。気づけば彼女らも立派に成人していた。いとこは、伯父ほどではないものの、やはり祖父母の目のクリクリの遺伝は来ず、小柄だった。葬儀の合間に話しかけてきた距離なし親戚によると、祖父母は近所に住む長男夫婦の子供たち(いとこ)にはさほど関心がなかったらしく、謎なことにひたすらわたしの自慢をしていたらしい。おいおい、わたしは教祖様かよ。そして、最悪なことにスーパーデリカシーのない祖父は、○○ちゃん(女の子)はエリカと違ってわしらに全然似てないし目が小さいなぁ。仕事もたいしたことしてないし・・・。と、伯父2号状態で、よく泣かされていたらしい。いやいやなんの恨みだよ。そりゃ泣くわ。。

あとから父に聞くと、いとこ達は伯父からかなりスパルタ教育で育てられたらしく、祖母の入院先でわざわざ○○は中学でも10位に入るくらい賢いから高校は地元の超進学校に行く予定だ、と聞いてもねぇのに伯父が父に話していたらしく、父もてっきりその超進学校に行っているものだと思いきや、残念ながら不合格だったらしい。そして、大学は「女だから地元の国立大なら家から通えるし行かせる予定だ。本当はもっと賢いから県外の大学に行けるけどな」と言ってきて、それもてっきり行っているかと思いきや、それも落ちて地元のFランと呼ばれる大学に行っていたらしい。というか、それなぜ受かる前に言う、、、?受かればそりゃ自慢になるだろうけど結局言ってなければただただいとこがかわいそすぎだろ。。大学卒業後の進路については父もちゃんと聞いていなかったらしいが、親戚の人いわく、いとこは就職難なこともあって就職できず、今は伯父の自営業をちょっと手伝っている程度な状態らしい。な、なるほど。。スーパーデリカシーのない祖父が100%悪いが、あまりにも不運が続くと確かに就職くらいは頑張ってしろよ!と、確かに風当たりも悪くなるかもしれない。。

なので、いとこからの私に向ける視線はかなり微妙で、葬儀の時も、その後の法事も、久々に再会したというのに今のところ一切話してない。

 

と、美人が関係あるかないか分からない話にはなってしまったが、父方親戚とはかなり修羅場だった。

ていうか、遺伝って怖いね。コンプレックスこじらせたいい歳したおっさんが、幼い姪に攻撃してくるくらいだからね。。そして、自分と似た遺伝子を持つ孫娘をここまで溺愛して、それゆえここまでトラブルになるんだからな。。

 

ただ、、、交流がなかった10数年をペラペラ語ってきた距離なし親戚から、生前祖母がどれだけわたしを可愛がっていたかを聞かされたのはさすがに少し心にくるものがあった。母からすればはらわた煮えくり返る出来事だったんだろうけど。疎遠になってからも、入院していても、死ぬ間際までエリカに会いたいエリカ可愛いエリカが幸せか心配だと言ってくれていたと聞くと、修羅場の原因といえどちょっと切なくなった。それと同時に、いとこ、マジごめん、、、とも思った。

 

今日、冬に向けて甘酒がスーパーに売られているのを見かけて、よく祖母が作ってくれた甘酒がおいしくて好きだったなーと思い出して、父方親戚トラブルを書いてみた。

あーあ、やっぱりなが。。